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八王子市 |
HACHIOJI |
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たきやまじょうしこうえん |
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八王子市北部を流れる多摩川と秋川の合流地点の南側に、自然豊かな雑木林に覆われた加住丘陵が広がっている。この丘陵の中心部にある都立滝山公園には、5000本もの桜の木が生えており、春先には薄紅色の桜の花が丘陵斜面を覆うようにして花開き、都内有数の桜の名所となっている。またここは、戦国時代に活躍した小田原北条氏一族の居城、滝山城があったことでも知られ、標高約160mの丘一帯には滝山城址の遺構が残っている。現在、国指定史跡となっている城跡は城址公園として整備されており、散策するのも楽しいところだ。今回ご紹介するのは、丘陵の東南方面から滝山城址を目指して歩く、雑木林と桜群生林の散策ルート。丘陵を彩る桜を見上げ、中世の山城に思いを馳せながら、ぽかぽか陽気の春の丘を歩いてみよう。 |
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全長 |
約2.5キロ |
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所要時間 |
約1.5時間 |
Access :電車 |
JR八王子駅・京王八王子駅より戸吹行きバス、または杏林大学行きバスで「滝山2丁目」下車 |
Access : 車 |
八王子から国道16号線、滝山街道経由で約15分 |
おすすめ
シーズン |
3月下旬から4月上旬の桜開花シーズンが見頃。 |
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1 滝山2丁目バス停 |
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徒歩8分 |
2 少林寺 |
↓ |
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徒歩8分 |
3 滝山公園 散策道 |
↓ |
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徒歩20分 |
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↓ |
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徒歩10分 |
5 二の丸跡 |
↓ |
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徒歩3分 |
6 中の丸跡・本丸跡 |
↓ |
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徒歩8分 |
7 千畳敷跡 |
↓ |
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徒歩3分 |
8 三の丸跡 |
↓ |
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徒歩7分 |
9 滝山城址下バス停 |
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金龍山少林寺は、滝山城の城主であった北条氏照が1571年に開基した寺院。開山した桂厳和尚は小田原出身で、その母は氏照の乳母であったと伝えられている。少林寺といっても、あの拳法で有名な少林寺とは関係がないようだが、代わりに北条氏に関するものがここには数々残っている。寺の檀家は7割が北条家臣団の末裔だといい、寺の宝物には氏照が使用したという鞍と鐙が所蔵されている。また、現代まで少林寺参道の西側を八幡宿、東側を八日市宿、横山宿と呼ぶ地名が残っており、後に八王子城の城下に栄えた八王子の町が成立する以前に、ここに現代八王子の町の起源となる城下三宿の賑わいがあったと想像できるのは興味深い。明治19年には火災により前建築は焼失したが、現在では平成5年に落成した木造入母屋造りの本堂が威風堂々と建っている。 |
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滝山公園散策道と桜の群生林 丘陵の小径で出会う5000本の桜の花 |
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少林寺を出て、先ほどの道をそのまま丘陵に向かって歩いていこう。ここからは辺りに民家もなく、道の脇に畑があるくらいだが、そのうち緩やかな坂を上りつめると、滝山公園内の散策道に当たる。そこを左に折れれば、北西に位置する滝山城址へと一本道でつながる。そして、辺り一帯に広がる古峯ヶ原園地を歩くこの散策道の道中が、5000本の桜の名所となっているところだ。 |
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少林寺前から滝山公園へ向かう道 |
滝山公園の散策道へ |
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この散策道は、幅1.5mほどのよく整備された林道で、木々は高原林のように美しく生え揃っている。特に落葉している春先は歩きやすく、景色もすっきりとした印象だ。時々、鳥の声が響き渡り、道の脇にはかわいらしいスミレの花も見つけることができる。辺りには、桜の花もちらほらと咲いているが、そのまま小さなアップダウンと蛇行を続ける散策道を辿っていくと、右手に緩やかな谷とそこに群生する桜の木々が見えてくる。桜は斜面にそれぞれ間隔をあけるように生えており、地面に芽を出した若草のグリーン色と桜の薄紅色が、春らしいやわらかいコントラストを見せてくれる。 |
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滝山公園散策道の入口 |
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雑木林の散策道は歩きやすい。
桜もちらほらと咲いている。 |
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園内に群生するスミレ |
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左・中央: 緩やかな谷に群生する桜の木々
右: ヤマザクラの巨木が目印 |
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歩いているうちに、ここに混生する桜の種類にも見分けがついてきた。まっすぐに伸びる一本木で一気に花だけを開花させるのがソメイヨシノ。また力強く数本の幹を生やして、枝先には花と同時に赤茶けた葉も一緒に開くのがヤマザクラ。桜以外にも、コナラ・クヌギ・エゴノキ・ヒノキ・アカマツなどの木々もあり、ニリンソウ・タンポポ・ウツボグサ・アカショウマなど、様々な春の植物も生えている。 |
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根元から数本の幹を生やす力強いヤマザクラ |
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ヤマザクラの花 |
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ヤマザクラとソメイヨシノ |
ソメイヨシノとアカマツ |
地面は落ち葉と草の絨毯 |
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道の左手に八王子乗馬クラブのクロスカントリーコースが現れ、右手に「都立滝山公園」の案内板が見えた後、散策道は大きく右へとカーブしていく。その先には小さな板橋が架かっている。橋の下を覗くと堀のような跡があるので、もしかしたら、ここは敵の襲来時に壊すという「引橋」だったところなのかもしれない。実はここからが、遺跡の点在する滝山城の敷地内となるのだが、まずは先に、この橋の辺りから左手斜面に見え始める広大な桜の群生林を堪能していただきたい。散策道の道中では、ここが花見のクライマックスとなるところ。斜面の下は城の池跡なので谷のような形状となっているが、桜満開のシーズンには、その谷を覆うように桜のベールが幾重にも重なり、辺り一帯が薄紅色の花霞となる。この圧巻の風景には誰もが目を奪われることだろう。この谷の斜面には幅50cmくらいの小道が底の方へと続いており、下りていけば斜面に咲く桜にも近づくことができる。日当たりも良く、ところどころ平地もあるので、花見や日向ぼっこをするには最適の場所だ。 |
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滝山城址入り口に架かる引橋 |
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引橋を渡ると、桜の群生林が左手に広がる。 |
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斜面の小道を辿って池の底へ |
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ここでお花見をする人が多い |
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いよいよ滝山城へ 武田軍と激戦を繰り広げた伝説の二の丸跡 |
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桜群生林の反対側には、信濃屋敷跡・刑部屋敷跡があり、跡地には木のテーブルが並んでいて休憩もできるようになっている。この辺りから、散策道は人の手が加えられた山城の遺跡らしくなっていく。道は突然ひどく屈曲したS字を描きながら上り坂となり、その両脇には堀が刻まれ、いかにも城郭跡らしい道だ。ここがかつて城の出入り口だったという二の丸前の虎口。特に「喰い違い虎口」と呼ばれるこの出入り口は、城の防御と攻撃の要所であり、堀と土橋によりS字型の通路を造ることで、坂の上にあった二の丸から城へ近づく者の姿をよく狙えるようになっていた。滝山城は山城だからか、山頂の本丸付近まで点在する堀には水は張っておらず、当時から空堀の状態。そのため、敵の侵入を防ぐために堀には土橋を造って分断し、また見晴らしの良い場所から虎口を監視できるようにしていた。確かに、坂の上からこのS字型虎口を眺めると、歩く人の姿がよく見える。だが、この頑強な虎口のおかげで、戦国の世には、ここで凄まじい戦いが行われたのだ。 |
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喰い違い虎口 |
喰い違い虎口の空堀 |
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信濃屋敷跡・刑部屋敷跡 |
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空堀に生える木々の向こうに
二の丸跡が見える |
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喰い違い虎口を通り越すと、いよいよ滝山城の城内へと足を踏み入れる。左手に見える土塁で固められた一段高い敷地が二の丸跡。出入り口の強固な二の丸は、城主の居住地だったと考えられている。土塁を上ってみると、やはり見晴らしがいいが、それほど広くはない。
滝山城は、そもそも永正18(1521)年に武蔵国の守護代、大石定重が築城し、滝山北西に位置する大月城から移転してきたと伝えられている。その頃、小田原北条家の全盛期を築いた3代氏康の攻撃を受けたが落城せず、氏康は三男氏照を大石定重の子、定久の養子にさせることでその家督を継がせ、強引に大石氏の所領を乗っ取った。その後、永禄元(1558)年頃に氏照が滝山城に入城し、山城を大修築したが、永禄12年(1569年)には甲斐の武田信玄に小田原攻略の途中で攻め入られ、滝山城は2万の兵に取り囲まれた。 |
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喰い違い虎口の先に見える
土塁が二の丸跡 |
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二の丸跡の土塁 |
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二の丸跡から見下ろした喰い違い虎口 |
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二の丸跡 |
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この二の丸では、かつて武田軍侵攻の際、南方から攻め入った武田信玄の四男、勝頼率いる強兵に、北条方は籠城作戦で必死に抵抗し、激戦を展開した。当時、氏照は二階門の上で城兵を指揮し、家臣の師岡山城守は、二の丸まで肉迫してきた勝頼と二階門の下で槍を振るい合い、死闘を演じたという。そして死に物狂いの戦いが続くこと3日、その戦いぶりを多摩川対岸の拝島大師の本陣で見守っていた武田信玄は、十分北条方を追い詰めたとして囲みを解き、兵を率いて小田原へと南下していった。滝山城は落城寸前で助かったが、この戦いで滝山城の城郭が、北側の多摩川に面する断崖以外は守備に弱く、地形的にも欠陥が多いことが判明。そのため、氏照はさらに強固な八王子城を築城し、天正12〜15(1584〜87)年頃には滝山城から移っていった。 |
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中の丸跡と引橋 桜咲くのどかな城跡に架かる、本丸を守る橋 |
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二の丸跡を過ぎ、さらに北へと進む。道の左側には、山の斜面を削り取ってしまったかのような広い広場が見え、その先に案内板が出てくる。案内板の右手の入口を入っていくと、そこは桜の大木が美しい中の丸跡。奥に建つ古民家風の家は、以前、国民宿舎滝山荘だった建物。現在はすでに宿舎は廃止となっているが、桜の花がマッチした風情ある建物だ。ここには男女別手洗いと、休憩ベンチがあるので一休みするといい。中の丸跡は毎年行われる「桜まつり」の会場にも使われており、祭の日には沢山の見物客が集まり、歌や踊りなどのイベントが行われる。 |
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二の丸跡から中の丸跡へ |
道の崖下に見える広場 |
中の丸跡入口 |
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中の丸跡 |
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中の丸の西側には、木造の橋が架かっている。橋の入口に書いてあるとおり、これは本丸につながる引橋である。意外に高いところに架かっており、橋を渡ると、眼下に二の丸から続く先ほどの道の続きが見えた。現在の引橋は頑丈にできているが、往時は敵の侵入時に取り壊せるよう、もっと軽量な橋が架かっていたのだろうか。想像していると、向こう側から橋を渡ってきた年配男性の二人組が、すれ違いざまにこんなことを教えてくれた。「ここは数十年前、NHKの大河ドラマ『源義経』で、弁慶と牛若丸が決闘する五条大橋シーンを撮影したロケ現場だった」と。確かにこの引橋で結ばれた城の中心部は、中世の山城の雰囲気がよく残っており、時代劇の撮影にも使われそうな絵になるところである。 |
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引橋を渡ると、道は右へと直角に折れ曲がる。周囲は土塁で固められ、内側の曲輪(くるわ)を方形に囲っている。これは枡形虎口と呼ばれるもので、北条流の築城の特徴といわれている。この土塁に沿って道を右に折れると、またすぐに左に曲がる。その先の狭い入口の向こうが、滝山城の本丸跡である。 |
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引橋の先に見える枡形虎口 |
枡形虎口は二度直角に折れ曲がり、本丸跡の入口へつながる。 |
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滝山城 本丸跡 落城を守り抜いた最後の砦 |
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桜の木々と、時折鳥のさえずりが聞こえるだけの本丸跡は、平らな草地が広がるだけの広場。北側の一段高いところには霞神社が祀られ、広場の角には滝山城の石碑、その反対側には井戸の跡が残っている。
霞神社の裏側に回ると、左手には金比羅社があり、正面北側の断崖上のベンチからは、眼下に多摩川を望むことができる。緩やかに流れる多摩川の向こうには拝島、そして西方には福生、あきる野の地を見渡す雄大な風景が広がっている。川から吹き抜ける風は、戦国の時代から変わってはいないのだろうか。多摩川を見下ろすと、土手の向こうに敵の布陣が見えるような気がする。遠くで轟く風の唸りが兵どもの雄たけびのようにも聞こえ、歴史ファンには一層ロマンを掻き立てられるところだ。 |
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滝山城本丸跡。
城跡は国指定史跡となっている。 |
本丸跡に残る古い井戸 |
本丸跡北側に建つ霞神社 |
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霞神社の裏手には、
金比羅社と多摩川の風景がある。 |
多摩川の水運の安全を守る
金比羅社は 創建200年 |
断崖上のベンチから望む多摩川の風景 |
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千畳敷跡から三の丸跡へ 古城に繁る雑木林は兵どもが夢の跡 |
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金比羅社から長い石段を下りると、先程の引橋の下を通る道に出る。石畳を歩いて引橋をくぐり、再び二の丸跡へと戻ってきたら丁字路を右へ。道は徐々に下り坂となり、丘陵を下りていく。右手に現れる千畳敷跡は、広く静かな草地の広場。さらに下ると、左手に三の丸跡が出てくる。ここも滝山合戦の時には激しい攻防戦が行われた場所であったと想像されるが、今では土塁と跡地が残るだけで、寂しい雑木林となっている。そのうち道は勾配がきつくなり、そのまま急な曲がりに差し掛かる。辺りは竹林に覆われて薄暗いが、振り返れば、ここも敵兵防御の要だったと思われる造りである。曲がりを右に折れ、竹林の向こうに明るい日差しが見えたら、もう出口はすぐそこだ。
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金比羅社から石段を下りて本丸下へ |
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石畳の向こうに見える引橋 |
千畳敷跡 |
三の丸跡 |
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きつい勾配と急な曲がりの滝山城址出口 |
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通りを抜け、目の前の滝山街道に至ったところで、今回のウォーキングは終了となる。帰りは、街道脇の滝山城址下バス停から八王子方面行きのバスに乗り、終点まで疲れた足を休めてのんびりと戻ろう。
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【取材後記】 滝山城址公園近隣の〜クウ・ネル・アソブ〜 |
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古城に咲く桜の花は、どこか切なさが漂うものだが、滝山城に咲く桜はその数の多さから城跡も華やいで見える。この城に武田軍が侵攻してきた時は10月の秋だったというから、桜の時期ではなかったが、もしそれが春先で、当時も数千本の桜の花が咲いていたとしたらどうなっていただろう。武田軍は引橋に辿り着く前に桜に心を奪われるか、それ以前に拝島に布陣した時点で、丘陵を覆う桜に見とれて動けなくなってしまったかもしれない。
そんな桜の景色が美しい滝山城址公園でのクウ・ネル・アソブは、自然の中でシンプルに過ごすのがベスト。クウはもちろんお花見用のお弁当持参で。近隣にはレストランもなく、公園内には売店もないので、お弁当を持参、もしくは滝山街道沿いのコンビニで買ってくるといいだろう。その場合は、必ずゴミを持って帰ろう!またネルのスポットは、桜群生林の斜面、またはあまり人が来ない静かな千畳敷跡が気持ちいい。アソブスポットは特にないが、園内の広場でバドミントンぐらいはできる。帰りはバスで八王子に戻り、駅前商店街ユーロードや八王子温泉「やすらぎの湯」に立ち寄ってみては?アフターウォーキングに八王子を満喫して帰るのも楽しい1日になるだろう。
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取材担当:美月春菜 |
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