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すわじんじゃ・ふさいじ・ざんぼりがわ |
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東京・多摩地区の中心都市であり、近年において駅前開発や多摩都市モノレール線の開通など、著しい発展を遂げている立川市。その商業ビルが立ち並ぶ立川駅の南口から多摩川周辺までの南部エリアには、立川の発祥と深い関係のある古社や古刹が点在し、また花木に囲まれた公園や川沿いの遊歩道などがあり、市民の人々に親しまれている。今回は、立川市南部に延びる、歴史と自然のスポットを結んだウォーキングコースをご紹介する。春の桜のシーズンや夏祭りの時期に、ぜひ出かけてみよう。 |
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全長 |
約3キロ |
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所要時間 |
約1時間30分 |
Access :電車 |
JR中央線・青梅線・南武線で立川駅下車 |
Access : 車 |
国道20号で日野橋交差点から立川通りに入り約5分 |
おすすめ
シーズン |
4月の桜開花や、8月の夏祭りシーズンがおすすめ |
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1 立川駅南口 |
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徒歩12分 |
2 諏訪の森公園・諏訪神社 |
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徒歩3分 |
3 旧八幡神社の大ケヤキ |
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徒歩5分 |
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徒歩1分 |
5 残堀川遊歩道 |
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徒歩15分 |
6 根川緑道入口 |
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徒歩10分 |
7 柴崎体育館駅 |
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諏訪神社の参道 公園参道の相撲道場から東参道・表参道へ |
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諏訪の森公園の南側から道路を渡り、諏訪神社の裏手の鳥居から境内へと入る。この日はたまたま日曜日ということもあり、鳥居脇の相撲道場では子供たちの相撲大会が行われていた。まわしを着けた小さな力士たちが、真剣な眼差しで取り組み合っている。「ハッケヨーイ、ノコッタ!」の声が静かな境内に響き渡り、勝負がつくと歓声と溜め息が観客から漏れた。その相撲道場の背後に回ると弓道場があり、袴を着けた老年の男性が静かに弓を引いている。その弓道場の後ろに建つ屋内道場では、屈強な男たちが二手に分かれ、柔道の技と剣道の練習を行なっていた。
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相撲道場の子供たち |
諏訪神社 東参道の鳥居 |
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武道が盛んに行なわれていることで、ここが神域であることを強く感じながら東参道に出ると、そこから真っすぐに表参道に建つ中雀門へ向かった。木々に囲まれ、シンと静まり返る広く長い表参道。手水舎に立ち寄り、中雀門をくぐると、真っ白な砂利の向こうに美しく荘厳な社殿が現れた。 |
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手水舎 |
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諏訪神社 表参道の鳥居 |
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中雀門。かつての中雀門は社殿奥の本殿前に移され、現中雀門は近年に再建されたもの。門の正面には右大臣と左大臣の像が収められている。 |
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杉並木が続く表参道 |
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諏訪神社 1200年の歴史と伝統を伝える関東の名社 |
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諏訪神社は、弘仁2年(811年)の創建で、信州・諏訪大社の勧進により分祀されたと伝わる由緒ある神社。「武蔵国風土記」や「江戸名所図絵」にも名を留めた関東の名社として、古来より多くの人々の信仰を集めてきた。寛文10年(1670年)に建てられた本殿は市内最古の木造建築として市の有形文化財となっていたが、不幸にも平成6年(1994年)に火災に遭い、全焼してしまった。現在では、平成14年(2002年)に再建された新社殿が、諏訪神社1200年の歴史を引き継いでいる。 |
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諏訪神社の祭神は、大国主神の第二御子神、建御名方神(たけみなかたのかみ)。毎年8月の例大祭には相撲奉納やお神輿の宮出しなどがあり、元禄年間から伝わる獅子舞は市の無形民族文化財となっている。 |
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拝殿で参拝し、木の香りが漂いそうなほど新しい建材とその頭上に刻まれた彫刻を眺めていると、社殿の奥庭からおめでたい雅楽とともに一組の新郎新婦が現れた。お日柄もよく、最高の婚礼日和だったこの日、拝殿の奥では礼装した神主や巫女たちが祝いの儀式の準備をしていた。少し特別な神事を垣間見たようで、こちらも厳粛な気分となる。
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諏訪神社境内には、八幡神社や稲荷神社など数々の神社が合祀されており、片隅には目の神を祭る小さな社もある。 |
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社殿の西側に八幡神社、東側に稲荷神社が合祀されている |
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神楽殿と境内末社。末社は左から疱瘡神社、日吉神社、金比羅神社、浅間神社 |
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目の神を祭る社 |
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旧八幡神社の大ケヤキ 樹齢750年と伝わる市内最大のご神木 |
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諏訪神社の表参道を出て、道を西に進むと、右手に古い門と石碑の建つ丁字路に出る。ここを左に入ると普済寺につながるが、その前に道を真っすぐに進み、旧八幡神社の大ケヤキを見に行った。住宅街の中にある古木だが、狭い路地の奥でこんもりと葉を繁らせた巨木が堂々とそそり立っており、かなり目立つ存在だ。近づいて目の当たりにすると、その幹の太さには度肝を抜かれる。ここまで太い幹のケヤキの大木は、そうそう目にすることはできないだろう。 |
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古い門と石碑の立つ丁字路 |
住宅街の中に建つ大ケヤキ |
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この大ケヤキは、八幡神社が創建された建長4年(1252年)当時に植えられたと伝えられている。八幡神社は、この大ケヤキから北へ50メートルの所に建っていたが、明治40年(1907年)に諏訪神社境内に移築された。その後、諏訪神社本殿とともに火災に遭い、焼失したため、社殿の西側に再建された。大ケヤキは、幹周り約6メートル、高さ10メートルほどで、樹齢はおよそ750年。市内最大の樹木で、市の天然記念物に指定されている。 |
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旧八幡神社の大ケヤキ |
ケヤキの幹は太く貫禄がある |
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大ケヤキの向かい側には、柴一八幡会公会堂が建っている。ここは獅子宿と呼ばれ、毎年8月の諏訪神社と八幡神社の例大祭で奉納する獅子舞の練習場として使用されている。柴崎町1丁目は元禄時代からの獅子舞の伝承地。祭礼当日にはこの宿から隊列を組んで出発し、両神社に伝統的な獅子舞を演舞奉納している。 |
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柴一八幡会公会堂。通称「獅子宿」 |
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普済寺 立川の文化・教育・行政の原点となった市民ゆかりの古刹 |
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大ケヤキから再び古い門のある丁字路に戻り、南へ伸びる道へと入る。奥多摩街道を渡った辺りから、立派な屋根つきの門を持つ民家が並んでいるので、この道ももしかしたら歴史ある古道なのかもしれない。そのまま歩いていくと、右手に石の門と大きな石の灯篭が建つ普済寺の参道が現れた。
石門を入り、桜並木をくぐりぬけると、両脇に墓地が広がっている。その参道の真正面に見えるのは、普済寺の楼門。木造の立派な四脚門で、階上の扉の中には聖徳太子坐像が鎮座している。 |
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楼門「澄心閣」。昭和45年に建立した入母屋唐様式扇垂木総檜造の四脚門。称号「澄心閣」は三笠宮殿下の命名。階上には聖徳太子尊像が祀られている |
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楼門に鎮座する聖徳太子尊像。普段は扉が閉まっているが、年末年始・お盆・お彼岸には扉が開かれ、下から拝むことができる |
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山門をくぐり、太鼓橋を渡ると、左手に鐘楼、そして正面には本堂が建っている。ひとけの少ないとても静かな境内だが、実はこの寺院、立川市の歴史ととても深いつながりがあるのだ。
玄武山普済寺は臨済宗建長寺派に属する禅寺で、南北朝時代の文和2年(1353年)、立川宗恒がその居城に菩提寺として寺院を創建し、鎌倉建長寺の高僧であった物外可什禅師を招いて開山としたと伝わる。
立川宗常は、中世に武蔵七党と呼ばれた武士団の中の西党の一族、日奉宗弘の子孫で、鎌倉初期にこの地を本拠地とし、もともとこの地の地名であった立川(立河)を名乗った。以後、立川氏は一時衰退するも、小田原北条氏と命運を共に滅びるまで200年あまり勢力を保ち、その立川氏の庇護のもとにあった普済寺は、室町時代にこの地方の仏教・文化の中心となって隆盛を極めた。室町初期には普済寺版と呼ばれる仏教経典を刊行するほどの文化の高さで、江戸時代には徳川家康より寺領二十石寄進の朱印状を下賜され、末寺18ヵ寺を有するほどに繁栄したという。現代の立川の文化も発展も、この寺なくしては語れないというわけである。
残念ながら、平成7年(1995年)に火災により本堂ほか3棟が焼失したが、寺の歴史を後世に伝えていくであろう新しい本堂が、平成16年(2004年)に再建された。 |
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本堂「常照殿」。間口15間・奥行き9間半、禅宗方丈様式、純木造本瓦葺入母屋造 |
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鐘楼。鐘は元禄4年(1691年)の鋳造 |
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鐘楼の下には、玉川上水から取り入れられた柴崎分水が流れる |
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本堂前にある休憩所 |
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本堂と鐘楼の間には、高さ約2m、長さ約40mの土塁が残っている。これは立川氏の館跡で、現在、本堂前と墓地西側に土塁が現存している。土塁の上には樹齢3〜400年ともいわれる2本のイチョウの大木が生えており、立川の歴史を見続けてきた生き証人として今も静かに佇んでいる。 |
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立川氏館跡の土塁。都指定史跡 |
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土塁に生えるイチョウの巨木 |
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普済寺には、十数年前まで歴史上重要な文化財がいくつも所蔵されていた。本尊の聖観世音菩薩像をはじめ、応安3年(1370年)に弟子たちによって造立された開山物外可什禅師坐像(重要文化財)や、天文8年(1539年)造立の釈迦牟尼坐像(市指定有形文化財)があったが、平成7年の火災でこれらの寺宝も焼失してしまった。難を免れたものは、楼門と、参道右側に建つ心源庵、そして立川氏が滅んだ時にその家来たちの首を埋葬したといわれる首塚や、その首塚から発掘された63枚の板碑(市指定有形文化財)などがあるが、板碑は火災で破損してしまっている。 |
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心源庵。弟子の修業道場で、室町時代から明治初期まで庶民の教育が行なわれた立川の教育発祥地である。一時、村役場としても使用され、教育・文化・行政の役割を果たしたが、老朽化に伴い平成元年に改築。現在では座禅道場として使用されている |
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心源庵石碑。「立川教育文化発祥の地」と刻まれている |
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その中でも、最も重要な寺宝「六面石幢」は、幸いにも火災の難を受けなかった。本堂の右手の墓地を入り、本堂の裏手に回ると、後庭の端に鉄筋コンクリート作りの小さな覆屋がある。その中に保存されているのが、国宝「六面石幢」。鉄扉のガラス越しに中を拝観することができる。
六面石幢は、寺の安泰と信徒の繁栄を願って、延文6年(1361年)に開山の弟子、性了によって建立された。高さ166cm、幅42cm、厚さ9cmの秩父青石と呼ばれる緑泥片岩の板石6枚を柱状に組み合わせたもので、上には同質の六角形の笠石がのせられている。板石の2面には仁王像、4面には四天王像が浮彫りに線刻されており、ガラス越しにもその流麗で巧みな彫りを観察することができる。この石幢は「武蔵名勝図会」などにも紹介されており、明治の時代まで境内裏の墓地にあったという。その後、明治22年頃に現在地に移され、昭和26年に国宝に指定された。 |
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六面石幢の石碑 |
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六面石幢が保存されている覆屋 |
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六面石幢。道円の彫刻 |
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六面石幢の覆屋から崖下を眺めると、寺院が立川段丘の上に位置していることがよく分かる。眼科には残堀川が流れており、晴れた日は丹沢山系から富士山、奥多摩の山々まで見渡すことができる。 |
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残堀川遊歩道 桜と菜の花を同時に楽しめる川辺 |
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普済寺裏手の墓地の外に出ると、寺院崖下の残堀川へとつながる道に出る。坂を下りながら道なりに歩けば残堀川遊歩道に出るので、川の景色を楽しみながら東に向かって歩いてみよう。
残堀川は瑞穂町箱根ヶ崎の狭山池を水源とし、武蔵村山市、昭島市、立川市を流れ、根川と合流して多摩川に注いでいる小さな川である。昔は大雨のたびに氾濫する暴れ川だったそうだが、現在では桜と菜の花の名所で、春は遊歩道脇の桜並木と川岸の菜の花が咲き乱れ、見事な風景を楽しむことができる。遊歩道も整備されているので、散歩やサイクリングを楽しむ市民の姿もよく見かける |
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普済寺裏手から残堀川遊歩道へと下りる坂道 |
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残堀川遊歩道 |
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残堀川。川の両端に桜並木が続く |
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春の残堀川 |
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残堀川が新奥多摩街道と交差する手前で、左手に細い散策道の入口が現れたら、その小路を入ろう。ここは根川緑道という美しい水辺の散策道で、立川市南部でおすすめするウォーキングコースの1つである。今回は根川緑道Aゾーンの終点まで歩き、多摩都市モノレール線の柴崎体育館駅に到着したところで本コースは終了。柴崎体育館駅からはモノレールに乗って立川南駅まで戻るか、または15分ほど北へ歩けばJR立川駅に辿り着ける。
また、このまま根川緑道を進んで、新たなウォーキングコースを楽しむのもおすすめ。根川緑道から国立方面へと歩く水辺のウォーキングコースを楽しみたい人は、「根川緑道・多摩川・矢川緑地」のコースを参考に、Bゾーンからウォーキングを続けて歩いてみよう。 |
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根川緑道の入口 |
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【取材後記】 諏訪神社・普済寺・残堀川近隣の〜クウ・ネル・アソブ〜 |
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根川緑道 |
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立川駅に降り立つと、思わず乗ってみたくなるのが頭上を走るモノレール。多摩川や住宅地、繁華街の上空を走るモノレールは、電車と違って揺れもなく、延々と高い陸橋の上を走っていくので、なかなか楽しい乗り物だ。この多摩都市モノレール線は、多摩地域を平行して走る西武線、JR中央線、京王線、小田急線を縦につなぎ、東京と埼玉の距離をも近づけた画期的な路線。便利な上に見晴らしもいいので、立川周辺に来た時は時々利用し、観覧車に乗る気分で空中散歩を楽しませてもらっている。
さて、今回は立川市南部で立ち寄るクウ・ネル・アソブ。クウ・スポットは、立川駅南口に建つグランデュオ立川の7階にある立川中華街がおススメ。ここは本格的な名店揃いで、食事と買い物を楽しめるスポットとして地元の人々にも人気。またネル・スポットを探すなら、根川緑道の木陰のベンチが静かで心地よい。アソブスポットも、ぜひ「根川緑道・多摩川・矢川緑地」コースの親水エリアへ。水辺で遊べるスポットで、水鳥や魚と触れ合いながらのんびり過ごす一日はいかが? |
取材担当:美月春菜 |
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