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国分寺市
 KOKUBUNJI 
             
 
おたかのみち・こくぶんじ 

歴史の香りが残る国分寺。その市名の通り、ここには武蔵の国の国分寺・国分尼寺があります。百貨店や商店が並ぶ駅前を抜けると、そこは清流に沿って歩く散歩コース。夏にはホタルが舞うのを見ることも出来るので、エアコンの効いた部屋を飛び出して、夏の納涼ウォーキングに出掛けてみましょう!

 
 
全長
約3キロ
所要時間
約1時間30分
Access :電車
JR中央線・西武国分寺線・多摩湖線「国分寺駅」下車
Access : 車
府中街道「泉町」交差点から国分寺駅方面へ約10分
おすすめ
シーズン
6月下旬〜8月はホタルが見られることも
 
 
 
1 国分寺駅
 ↓
徒歩15分
2 お鷹の道
 ↓
徒歩20分
3 真姿の池
 ↓
徒歩10分
4 国分寺
 ↓
徒歩5分
5 武蔵国分寺跡
 ↓
徒歩20分
6 武蔵国分尼寺跡
 ↓
徒歩5分
7 旧鎌倉街道上の道
 ↓
徒歩15分
8 西国分寺駅
 
 
 

 国分寺駅 --- お鷹の道・真姿の池    ハケを流れる恵みの水。せっかくだから、空っぽの入れ物を持って行こう。

 

国分寺駅の南口を下りたら、左手に見える殿ヶ谷戸庭園の敷地に沿って南へ向かいます。駅の北側にある日立中央研究所内の池から三鷹方面へ向かって流れる野川を越えて、お鷹の道へ。散策コースとして、地元の人々に親しまれているこの小道沿いには、ハケ(武蔵野段丘・国分寺崖線)から湧く清流があり、夏でも涼しげな空気を運んできてくれるんです。このトロトロトロトロ〜という音を聞いているだけでも、暑さが引いていくかのよう・・・。夏の夜にはホタルも観られます。

清流沿いのお宅では、軒先に見慣れぬまな板のような物が。何かと思えば、なんと洗濯板!「桃太郎」に出てくるおばあさんが、川で洗濯をしていたのは有名な話ですが、このあたりでは今でも実際に、洗濯板を使って、小川で洗いものをしているみたいです。

清流に沿ってお鷹の道を西へ進むと、「真姿の池」があります。不治の病に苦しんでいた玉造小町(たまつくりこまち)という女性が、国分寺に参詣したところ、1人の童子が現われて、近くにあるこの池の水で身を清めるようにと告げられ、その通りにしたところ、病が治り、美しい姿に戻ったという伝説があります。

この池の辺りでは、お鷹の道沿いに流れていた小川も、やや幅が広くなり、池の先にある湧水地では、大きなペットボトルを何本も自転車に積んできて、飲料用に清流を汲んで行く人たちの姿が見受けられます。おおきなペットボトルはウォーキングの邪魔になるかもしれませんが、500mlくらいの小さめのペットボトルや水筒を空にして持参すると良いかもしれません。国分寺の恵みの水をご賞味あれ!ちなみに、こぐまが歩いた日には、水浴びをするワンちゃんを目撃することもできました。


お鷹の道・真姿の池
住所
東京都国分寺市東元町・西元町
 
 国分寺--武蔵国分寺跡--国分尼寺跡    奈良時代に展開された一大国家プロジェクトのロマンをたどろう。
 
真姿の池から、さらにお鷹の道を西へ進むと、立派な造りのお寺があります。市名の由来ともなっている、「国分寺」です。こちらにあるのは、江戸時代の1733年に復興された新しい国分寺。境内には薬師堂、文化財保存館、万葉植物園があり、散策する人々の憩いの場にもなっています。

国分寺建立は、奈良時代に東大寺を建立し大仏を造立した、聖武天皇の詔による全国規模で展開された一大公共事業。なかでも、武蔵国(現在の東京都・埼玉県にあたる地域)に建築された国分寺は、最大規模を誇るものだったようです。

その初代の武蔵国分寺が焼失したのは、1333年のこと。鎌倉幕府討伐を目指して、小手指ヶ原の戦い、久米川の戦いに勝ち、勢いに乗って分倍河原の戦いへと突き進む新田義貞の軍勢が、この寺に火を放ち焼失させてしまったのです。現在では、発掘調査が進み、現存する国分寺の南側に、聖武天皇のプロジェクトにより建立された初代・武蔵国分寺跡と武蔵国分尼寺跡が、公園として整備されています。
国分寺
住所 東京都国分寺市1-13-16
武蔵国分寺跡
住所 東京都国分寺市西元町1-4

 

歴史上重要な史跡というものは、たいてい柵で囲われていて立ち入り禁止だったり、入場するためにはお金を払わなければならなかったりするものですが、国分寺跡・国分尼寺跡は出入り自由。もちろん無料。だから、地元の人々が散策したり、子どもを連れて遊び回ったりと、大変開放的。かつて金堂が建っていたところでボール遊びできる公園なんて、そうあるものじゃありません。歴史的意義の重さを理解したうえで、思う存分カジュアルに遊んじゃいましょう!

 

武蔵国分尼寺跡
住所 東京都国分寺市西元町4-3
 
 旧鎌倉街道上の道    鎌倉武士だって恋はする。国分寺ラブストーリーは永遠に……。
 

国分尼寺跡の先、武蔵野線の線路沿いの高台には、旧鎌倉街道上の道の切通しが残されています。写真のように、道の両側に鬱蒼とした草木が生い茂っていて、他の場所よりも薄暗く、空気も涼やか。馬が2頭並んで通るのがやっとだったと伝えられていますが、今でも自転車に乗った人が2人並べるかどうかという道幅です。鎌倉時代の武士たちは、この道を駆けて将軍のもとへ向かいました。新田義貞の軍勢も、この道を通ったのでしょう。

切通し脇の高台には、祥応寺跡があります。ここには、鎌倉時代の悲劇の武将・畠山重忠にまつわる伝説が。武蔵国の御家人だった彼は、鎌倉へ向かう途中、この辺りの宿に泊まり、夙妻太夫と恋に落ちました。しかし、やがて平家追討のために源義経に従って西国へ向かわなければならなくなり、2人は離別。「重忠は戦死した」という誤報が流され、ショックを受けた夙妻太夫は、近くにあった姿見の池に身を投げてしまいます。里の人々は、彼女を哀れんで塚を作って手厚く葬り、そこへ1本の松を植えました。その松は傾城(けいしょう)の松として語り継がれ、現在でも3代目の松の木が東福寺に立っています。祥応寺には、夙妻太夫の死を悼んだ重忠が納めた、鉄の阿弥陀仏があったのです。
この伝説との関連は定かにはなっていませんが、この道の先、西国分寺駅前一帯は「恋ヶ窪」という地名で呼ばれています。

 

旧鎌倉街道上の道
住所 東京都国分寺市西元町4
【取材後記】   こぐまのウォーキング日記
住宅地にある武蔵台遺跡公園

中央線の特別快速停車駅「国分寺」。東村山に住むこぐまは、吉祥寺・三鷹・立川・八王子・高尾など、中央線の駅を利用するときには、国分寺駅で乗り換えます。乗り換えるだけじゃなくて、国分寺駅周辺で買い物をしたり、食事をしたりすることもしばしば。当然、今回歩いたコースを散策したのも、1度や2度じゃありません。お鷹の道周辺は1人歩きにも、2人のデートにも、もちろんグループでの歴史探訪にもぴったりなコースです。町のあちこちに、歴史に関する石碑や遺跡が残る神秘的な住宅地・国分寺。約3キロ、所要時間1時間半程度と、気軽に歩けるコースなので、気分転換にももってこいですよ!
                        
取材担当:こぐま

 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
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