今回のスタート地点は「東京炭鉱跡」。「東京炭鉱」と聞いて、ピンとくる人が果たしてどの位いるだろうか。青梅の地に炭鉱があったとは・・というのが大方の反応ではないだろうか。東京炭鉱は、昭和10年(1935年)から創業を開始し、昭和35年(1960)の閉山まで主に泥炭を採炭していた。最盛期には40人前後の従業員が毎日500トンを産出していたという。暖房用の燃料や肥料として使われていたが、石油や化学肥料の普及により徐々に採掘されなくなり閉山となった。
東京炭鉱は、J Rの青梅駅からバスで30分ほどの地点にあり、岩蔵温泉の一つ前の停留所である。ちなみに、バスは通常青梅駅または河辺駅から利用できるが、祭日の交通規制の際には変更もあるのでご注意を。バスを降りたら反対側の道路に渡り、そこから住宅地へと続く道に入っていく。 眼前にも背後にも山や緑が広がり、ちょっとした田舎の風景という感じである。ほどなくして左に入る砂利道があるので、そこを進んでいくと「小曾木4丁目運動広場」が見えてくる。こじんまりした運動場だが、その脇にある草の生い茂った場所がどうやら炭鉱の跡地らしい。「らしい」というのは、見た限りでは炭鉱跡の面影を残すものは何もないためである。以前は堅杭の跡なども残っていたらしいが、それも今は見当たらない。地元の人に話を聞いたところ、「子供の頃にカンテラを持った人たちが入っていく姿を見たのを覚えている」と語ってくれた。数十年先には、バスの停留所のみが唯一その存在を伝えてくれるものになるかもしれない。
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