JR南武線と京王線の乗換駅である「分倍河原」の駅前ロータリーには、馬に跨り刀を振り上げる武者の像が立っています。迫力ある出で立ちの武将の名は、「新田義貞」。歴史の教科書にも登場するこの人物は、鎌倉末期に活躍した武将で、あの鎌倉幕府を滅亡に導いた張本人です。
上野国(現・群馬県)の豪族であった新田義貞は、後醍醐天皇の命で元弘の乱に参戦。小手指原の戦い(現・所沢市近辺)、久米川の戦い(現・東村山市近辺)で幕府軍を破った新田軍は、鎌倉街道上道(かみのみち)を南へ進み、ここ分倍河原へ。
分倍河原の戦いで鎌倉幕府14代執権・北条高時の弟、北条泰家軍を撃破した新田義貞は、その勢いで多摩川を越え相模国(現・神奈川県)に入り、挙兵からわずか2週間で鎌倉幕府を滅ぼしました。
なお、鎌倉幕府滅亡後、ほとんど彼の名前が教科書に登場しなくなるのは、後に室町幕府を築いた北朝方の足利尊氏に対して、建武の新政を支持する南朝方の立場をとったため。南北朝の動乱で敗れた彼は、鎌倉幕府討伐の5年後に討ち死にしてしまったのです。
|