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今回のコースは、古くから江戸(東京)の名所として親しまれ、数々の文芸作品にも登場した浅草や、時代の変革期の舞台となり、今では美術館や動物園が有名な上野公園を中心に散策する。どのエリアも、地元の人々から観光客まで、国内外を問わず人気の観光スポットである。アートに歴史、自然にショッピングまで網羅した今回のコースには、必ずどこか気に入る場所が見つかるだろう。
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全長 |
約7キロ |
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所要時間 |
約3.5時間 |
Access :電車 |
東武伊勢崎線、東京メトロ銀座線、つくばエクスプレス、都営地下鉄浅草線のいずれかより「浅草駅」下車 |
Access : 車 |
駒形ランプ出口より1分 |
おすすめ
シーズン |
通年 |
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1 都営浅草駅 |
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徒歩4分 |
2 隅田川・吾妻橋 |
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徒歩3分 |
3 浅草寺 |
↓ |
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徒歩1分 |
4 花やしき |
↓ |
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徒歩15分 |
5 かっぱ橋道具街 |
↓ |
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徒歩25分 |
6 上野恩賜公園 |
↓ |
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徒歩3分 |
7 アメヤ横丁 |
↓ |
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徒歩3分 |
8 上野駅 |
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隅田川と吾妻橋 隅田川を見下ろす新旧二つのシンボル |
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本日のスタート地点である浅草へは、地下鉄やつくばエクスプレスなど複数の路線が利用できるが、いずれも浅草駅で下車となる。路線により降りる場所が若干異なるので、駅の案内版などを手がかりに雷門を目指して行こう。今回のコースでは都営浅草線を利用するので、出口から牛めしの松屋方面に向かって歩いていく。ほどなくして見えてくる交差点で、左に続く道が雷門通りになる。交差点の右側には、隅田川にかかる吾妻橋と、その向こうにアサヒビールの吾妻橋ビルが見える。 |
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浅草と向島を結ぶ橋。江戸の東側にあったことから人々の間で「東橋」とよばれており、それが転じて「吾妻橋」となったといわれている。1744(安永3)年に完成。何度か架け替えが行われた後、1887(明治20)年に隅田川初の鉄橋として再架される。 |
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ジョッキに入ったビールをイメージしたアサヒビールの「吾妻橋ビル」。右が個性的なオブジェで有名なビアガーデン。巷では色々な呼び名で親しまれているが、正式にはフラムドール(フランス語で「金の炎」の意)といい、燃える炎をイメージしたもの。 |
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浅草寺 三社さまとして親しまれる浅草の代表的シンボル |
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交差点から左に入り、隅田川を背にして雷門通りを進んでいく。雷門通りは、地下鉄とつくばエクスプレスそれぞれの浅草駅の間に位置し、明治時代から続くバーや、文豪も通った蕎麦屋など、昔ながらの店が残っているため、ここを散策するだけでも楽しめる。隅田川方面から行く場合、浅草寺の入口はすぐそこだ。頭上の案内板を目印に右手に曲がると、記念写真を撮る観光客ですっかりお馴染みの「雷門」と書かれた真っ赤な提灯が目に入ってくる。 |
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記念写真の定番スポット「雷門」。正式名称は提灯の裏側に書かれている「風雷神門」。
942(天慶5)年に、平公雅(たいらのきんまさ)によって創建された時は別の場所(駒堂近く)にあったものが、鎌倉時代にここへ移された。現在の
門は、昭和53年に再建されたもの。 |
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提灯に松下電器の名が入っているのは、松下幸之助氏による寄贈のため |
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提灯の下には色鮮やかな彫刻が、底部には龍が刻まれている |
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雷門から抜けると仲見世通りに入る。雷門と共に外国人観光客などもよく訪れる人気のエリアで、約140メートルほど続く道は、休日とものなると多くの人々でにぎわっている。
仲見世通りは、江戸時代に市民たちが境内の掃除をする代わりに出店を認められたことが始まりとされており、現在では、日本の伝統和菓子や、土産物、和小物など、80軒以上もの店が並んでいる。 |
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外国人観光客向けのお土産も多い |
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名物の和菓子店が軒を連ねる |
浅草には仲見世通りだけでなく、横道や裏通りなど各所に老舗の店舗や趣のあるスポットが点在しているので、人ごみが苦手という人や時間に余裕が
ある場合は、裏通りの散策をお勧めしたい。今回は、仲見世通りがいったん途切れたところで、左手に続く「法院通り」に立ち寄ってみる。 |
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開店当時そのままの雰囲気が感じられる店並び |
法院通りに位置する「鎮護堂」 |
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浅草寺 |
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再び仲見世通りに戻り進んでいくと「宝蔵門」が現れ、その向こうがいよいよ浅草寺本堂である「観音堂」となる。
浅草寺の起源は古く、682(推古天皇36)年、地元で漁師をしていた兄弟が、隅田川で一体の木像(聖観世像)を発見し、その像を祭る小堂を建てたこと が始まりといわれている。現在も、この小堂は「駒方堂」とよばれ、浅草寺発祥の地として本堂とは少し離れた場所に残っている(昭和8年に再建)。この兄弟と共に聖観世像の発見に関わった人物を含めた三人を祀っていることから、浅草神社は別名「三社さま」とよばれ、浅草で有名な三社祭とはこれに由来する。
左は
浅草寺本堂の観音堂。徳川家3代将軍家光により建立された旧本堂は、1945(昭和20)年に戦火の下で焼失し、現在あるのは、1958(昭和33)年に再建されたもの。鉄筋コンクリートと本瓦葺で創られているが、形態は旧本堂と同等。天女や龍の描かれた天井画は名日本画家によるもの。 |
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浅草寺を訪れる人の多くが、雷門から仲見世を通り、本堂で参拝して終わりという場合が一般的と思われるが、浅草寺境内やその周辺には、本堂以外
にも散策を楽しめる歴史建造物が多く存在する。 |
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本堂の左に位置する五重塔。942(天慶5)年に、平公雅により本堂と共に建立される |
千手観音菩薩を中心に、十二支の守り本尊を祀ってる影向堂(ようこうどう) |
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境内で最古の建造物である六角堂。
1618(元和4)年の建物 |
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徳川家3代将軍家光によって1649(慶安2)年に建てられた薬師堂 |
1687年に米問屋の番頭によって奉納された二尊仏。高さ4.5メートル |
浅草神社。1649(慶安2)年、3代将軍徳川家光により建立される。浅草寺本尊を発見した3人(三社さま)を祀る。国の重要文化財。 |
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上記以外にも、関東三大弁天の一つと数えられる「弁天堂」、国の重要文化財にも指定されている「二天門」や、浅草寺支院の一つで本堂とは少し離
れるが、景観の美しい「待乳山聖天」など、数々の由緒ある見所スポットが存在する。浅草寺を中心に浅草を一日ゆっくりと堪能するのもお勧めである。 |
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浅草花やしき 昭和の雰囲気も魅力の一つ |
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浅草花やしき |
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営業時間 |
10:00〜18:00(営業時間は季節・天候により異なる) |
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入園料 |
大人(中学生以上) 900円、小人(5歳以上、小学6年生以下)400円、フリーパス 2,200円 小人(2歳以上、小学6年生以下) 1,900円 (その他、乗り物券などもあり) |
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六角堂や淡島堂のあるエリアから外に出ると、隣接して見えるのが日本最古の遊園地「花やしき」だ。1853(嘉永6)年、牡丹や菊細工の植物園「花屋敷」として開園したのが始まりで、今でも浅草の人気スポットの一つである。
園内には、『ファンタジー&メルヘン』、『超時空ゲームゾーン』、『スピード&スリル』、『ミステリアス&パニック』のテーマにそって、外観からは予想できないほど多くのアトラクションが所狭しと並んでいる。なかでも、「今にも壊れそうな風情のある(公式サイトより引用)」昭和28年建造の日本現存最古のジェットコースターをはじめ、花やしきではすっかり名物となった「お化け屋敷」や、浅草の街が一望できる「Beeタワー」などは、花やしきに行った際には是非体験しておきたい。さらに2007年には、DISUKO(ディスクオー)というスリル満点の大型アトラクションが、そして2008年には、多目的ホール「花やしき座」が誕生するなど、次々と発展を遂げているが、昭和っぽい雰囲気の魅力は健在である。入園料は必要だが、アトラクションは利用ごとに料金(チケット)を払えば良いのと、手ごろな価格で楽しめるのが嬉しい。
関連リンク:
TOKYOおでかけガイド−浅草花やしき
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かっぱ橋道具街 個人から業務用まで調理器具なら何でも揃う |
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花やしきから浅草寺を背に上野方面に向かい、国際通りを抜けて、調理器具などの店が多く並ぶかっぱ橋道具街へ向かう。調理器具だけでなく、食器や食品サンプル、業者向けの商品などが揃うことで有名なかっぱ橋道具街は、170点以上の店舗が連なる約800メートルほどの商店街。歴史は古く、明治時代の終わり頃から商人が古道具などを売り始めたのが最初だという。
かっぱ橋という名には、「雨合羽」と「河童」の二つの由来説があるが、街の至るところにある河童のオブジェを見る限り河童説が多くの指示を集めているようだ。また、河童の手のミイラとされているものが収められている曹源寺(通称「かっぱ寺」)も、この付近のエリアにある。 |
かっぱ橋道具街はこの看板が目印 |
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外国人観光客にも人気の食品サンプルの店 |
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普段目にすることがない業者向けの商品は、見ているだけでも楽しめる |
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道具街を直進し、浅草通りと交わる交差点にたどり着いたら、そこが通りの終着である。
次のコースである上野公園に向かうには、浅草通りを右に進んでいくことになるが、最寄りの田原町駅からの地下鉄を利用することもできる。徒歩で上野方面に向かうには、浅草通りの他に、道具街を交差している「かっぱ橋本通り」を進むのも良いだろう。こちらの通りでは、その名にふさわしくいたるところにかっぱのオブジェが点在し、道中を楽しませてくれる。
関連リンク:かっぱ橋道具街公式HP
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道具街誕生90周年を記念して、平成15年に建てられた「かっぱの河太郎像」 |
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かっぱ橋道具街入口 |
種類が豊富なのはかっぱ橋ならでは |
提灯が多数。お土産で買っていく人も |
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自宅向けに買っていく人も |
かっぱ橋道具街組合加盟店ステッカー |
湯飲みセール中 |
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美濃焼・有田焼などを扱う |
フライパン、鍋も格安 |
業務用厨房機器 |
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小皿、茶碗が通常価格の半額に |
寿司桶を扱うお店も |
陳列ケース専門店 |
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七輪焼き、ジンギスカン用鍋 |
業務用ケース |
愛嬌あるかっぱが町のいたるところに点在 |
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愛嬌あるかっぱが町のいたるところに点在 |
愛嬌あるかっぱが町のいたるところに点在 |
愛嬌あるかっぱが町のいたるところに点在 |
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上野恩賜公園 自然のなかでアートと史跡を堪能する |
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上野方面を目指して約15分ほど進むと、上野駅の入谷口に到着する。ここから上野駅の公園口を目指すわけだが、同じ駅内でもほぼ反対側に位置するのでやや歩くことになる。公園口を出ると、目の前が今回のもう一つのメインスポット上野公園だ。
上野公園といえば、動物園、美術館に博物館、そして春は花見の場所としても人気のある都立公園であり、メジャーな観光スポットだ。あらゆる文化芸術施設が集まっている一方で、園内のいたるところに貴重な史跡や歴史建築物が点在しているのは、もともとこの敷地は江戸時代には寛永寺の境内だったことが背景にある。また、桜だけでなく、夏には蓮、秋には紅葉、冬は牡丹など、一年を通して四季の花々を楽しむことができるのも魅力だ。そんな見所が豊富の上野公園は、何度も足を運びたいスポットであるが、今回はウォーキングということで歴史建築物を中心に、4つのエリアに分けて紹介していく。実際に周る際には、入口近くにある案内所で園内マップを貰っておくと良いだろう。
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上野恩賜公園 |
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○西郷銅像〜上野東照宮エリア
公園の入口を中心として左エリアに、歴史建造物が多く集まっている。顔だけが残っているという珍しい「上野大仏」や、建築技術的にも貴重な「上野東照宮」など見所スポットが多い。 |
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最初に現れるのが「上野の森美術館」。他の美術館とは離れた場所にあり、名前の通り緑に囲まれた静けさが心地良い。 |
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木村益次郎率いる新政府軍と彰義隊(しょうぎたい)との戦い、いわゆる「上野戦争」により、命を落とした彰義隊の墓。当時は見せしめとして放置されていた遺体だが、とある和尚たちの手によってこの地に葬られた。
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待ち合わせスポットとしてもお馴染みの、明治維新の指導者「西郷隆盛」の像。作者は高村光雲。 |
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1631 (寛永8)年建立の「清水観音堂」。京都の清水寺を模して建てられたお堂で、後に現在の場所に移動される。本尊は、清水寺と同じく千手観音 |
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1631(寛永8)年に創建された「上野大仏」。地震や火災など、数々の自然災害のため4回首が落ちた末、現在は首のみが保存されている |
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大仏再建の願いを込め建立された仏塔(パゴダ) |
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徳川家康の魂を祀る場として、1627(寛永4)年に建立された「上野東照宮」。唐門や拝殿、本殿など建築的にも評価が高く、国の重要文化財に指定されている |
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○不忍池〜鴎外荘エリア
清水観音堂から眼下に続く階段を降りると、道路を挟んだ向こう側が不忍池や上野動物園(西園)の敷地になる。 |
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周囲を約1.7kmの不忍池に囲まれている「不忍弁天堂」。お本尊(八臂大弁財天)は、長寿や商売繁盛、出世、芸能などのさまざまな守りとして信仰されており、池のどこからでもお参りができるよう八角のお堂になっている。 |
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夏になると蓮の花でいっぱいになる「不忍池」。池はこのほかに、ボート乗り場や動物園内にも広がっている。 |
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上野公園の敷地内となっているが、不忍池手前の道路を5分ほど進んだところにある「水月ホテル鴎外荘」。このホテルは、名前の通り森鴎外と繋がりの深い場所で、表の外観は普通のビルだが、館内には鴎外の旧居や復元された当時の玄関の様子などを見ることができる。
鴎外は、1889(明治22)年に結婚を機にここへ移り住み、その間に文壇処女作「舞姫」を執筆。館内にはその部屋が今もなお残され、宴席の場として利用されている。
このホテルでは、本格的京懐石料理や、重炭酸ソーダの大理石風呂「福乃湯」、樹齢2000年の檜を使った「檜乃湯」などの天然温泉も特徴で、当時の文豪の面影を味わいながら、贅沢な時間を味わえる場所となっている。ホテルの創業は昭和21年。ちなみに「水月」とは、『不忍の水面に影をうつす月』という創業時の言葉が由来だそう。
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鴎外荘(水月ホテル) |
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電話 |
03-3822-4611 フリーダイアル0120-266-266 |
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○不忍池〜寛永寺エリア
1625(寛永2)年に徳川家光の命により建立され「寛永寺」は、もともとは現在の大噴水のあたりにあったが、彰義隊の戦い(上野戦争)で焼失し、現存の建物は、川喜多院から移築したものである。園内の中心とは大分離れたところに位置しているため、あまり足を延ばす人も多くないかもしれないが、東京都美術館の脇道から寛永寺に行くルートには、ルネサンス様式の外観が美しい国会図書館など、見るだけでも楽しめる文化・芸術施設があるので、一度は足を運んでみてはいかがだろうか。 |
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オレンジのレンガと緑の蔦のコントラストが
美しい「黒田記念館」 |
1906(明治39)年建造の旧帝国図書館が、2000年に改修されて完成した「国際子ども図書館」
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「寛永寺」の墓地には、家綱、綱吉、吉宗、など6人の徳川家歴代将軍が眠っている |
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アメヤ横丁 独自の世界と活気あふれる商店街 |
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アメヤ横丁 |
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最後に、上野のもう一つの顔「アメ横商店街」に立ち寄る。上野駅の公園口へ戻り、そこから坂を下って5分とかからないうちにアメヤ横丁、通称「アメ横」の入口が見えてくる。食品から衣料まで、あらゆる店がところ狭しと集まっている活気あふれる商店街だ。
アメ横の歴史は、戦後の昭和史と共にある。第二次世界大戦後、食料不足に悩む人々により、国に許可を得ない「闇市」として誕生したのがアメ横の始まりだ。アメ横の「アメ」は、当時、菓子類や芋アメが商品として主流だったことから「飴屋」を意味するという説と、その後、米兵の放出品としてアメリカ製品を売る店が増えていったことから、「アメ屋」と呼ばれるようになったなど諸説あるが、この由来の存在自体、あらゆる店が集まる「アメ横」らしいといえるだろう。
以上で本日のコースは終了である。かなり盛りだくさんの内容だったが、一日で浅草・上野のメジャーなエリアを網羅することができただろう。帰りは上野駅まで戻るか、アメ横を突き進んで御徒町駅を利用すると良いだろう。 |
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アメヤ横丁入口 |
カニやひもの、魚介類も安い |
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調味料専門店 |
松茸が2,000円から |
乾物パックはまとめて買うとお得 |
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日本産海老2,500円 |
値引き品を見つけるのが楽しい |
外国人がお土産に買っていく |
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スイカ、メロンカットも人気 |
休日平日問わず混雑 |
アメ横センタービル前 |
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【取材後記】 浅草・隅田川・上野周辺の歩き方ポイント |
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雨上がりの寺社も趣があります |
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取材をしていた時期はちょうど天候が変わりやすく、上野公園内で突然のスコールにあいました。傘も役に立たないほどだったので、雨よけを求めて近くの「上野精養軒」へ。表玄関には、お客様を迎えるためか何人かスタッフの方が常駐していたのですが、隅に立っていた自分に向かって「もっと中へどうぞ」と薦めてくれました。雨が小降りになりその場を去ろうとしたときも軽く挨拶をしてくださり、さすが老舗…だからとは限りませんが、心からのホスピタリティーのようなものを感じました。
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取材担当:MATSUDA |
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